今日では、日本国内のみならず、世界各国でも愛される和食の代表料理の一つ「焼鳥」。
大手グルメサイトで「焼鳥」と検索すると、30,000軒超の店舗が表示されます。
本科目『鶏学』では、焼鳥について様々な角度から解説していきますが、まずは日本でどのように広がっていったか、その歴史を学びましょう。
本講座では「鶏」の表記は「にわとり」、「鳥」は「鳥全般」を表しています。ただし、鶏を使用する焼鳥に関しては、「焼鶏」ではなく、一般的な使われている「焼鳥」と表記しています。 |
鶏食の歴史
そもそも鶏が日本に渡来したのは、今からさかのぼること2000年以上前のこと。弥生時代の初期が定説です。
その後の古墳時代に、卵を食べる目的で鶏の飼育が始まり、卵を産まなくなった後に鶏肉を食べる習慣があったことが分かっています。ところが、675年(飛鳥時代)に『肉食禁止令』が発令。あくまで表向きではあるようですが、家畜の肉を食べることが禁止され、食鳥について残された記録は少なくなっています。
それから時を経て、江戸時代。やはり採卵を目的として、養鶏が盛んになり、全国に広がります。
そして文明開化。明治になると『肉食禁止令』が解禁になり、国民の鶏食に対するニーズは高まりました。
しかし、この頃、鶏肉は高級品。同じように食べられ始めた牛肉よりはるかに高い値段で取引されていました。現在のように、鶏肉が手頃な価格で買えるようになったのは、昭和に入ってからのことです。
焼鳥の始まり
ここで、本学のメインテーマである焼鳥の歴史を見ていきます。
最初に串に刺した鳥肉を焼くという焼鳥らしき料理が確認できた文献は1643年に刊行された『料理物語』。江戸時代前期です。同文献には「串やき」という項目があり、食材としてハクチョウやガン、鴨などの野鳥が紹介されています。
当時は鳥と言えば鶏ではなく野鳥が一般的。とは言え、鳥肉を串に刺して焼くという、調理法自体は確立されていたと言えます。
明治時代には、焼鳥の屋台が登場。ただ、前述のように鶏肉は高級品だったため、高級な鶏料理店が使わない鶏の端肉や内臓を安価に仕入れ、串に刺していたようです。とは言え、現代の焼鳥にかなり近しいものと言えるでしょう。これが大衆に受け入れられ、広く浸透していきました。
鶏肉を使った焼鳥店が登場したのは、昭和初期。しかし、依然として鶏肉は高価。端肉や内臓ではない鶏肉を使った焼鳥を食べられるのは、ほんの一握りの高級店だけでした。
ブロイラーの登場
現在のように鶏肉を庶民が食するようになったのは、昭和30年代後半にブロイラーがアメリカから輸入されてから。その後、国内生産が始まりました。
ブロイラーとは、短期間で肥育できるよう品種改良され、大量生産が可能になった若鳥の呼称。採卵用ではなく、肉用の鶏です。その特徴は、柔らかでジューシーな肉質、そして安価な価格。
ブロイラーの登場により庶民からのニーズは高まり、これを受けてブロイラーの生産も急増。農林水産省の統計によると1965年(昭和40年)に1億弱だった出荷羽数は、1974年には約4億羽と、10年の間で約4倍に増大。普及スピードの早さが伺えます。
こうした時代の流れと共に、大衆焼鳥店でも「鶏肉を使った焼鳥」が提供されるようになりました。
地鶏と銘柄鶏
ブロイラーの生産は、1980年代まで大きな成長を続け、1987年には生産羽数7億4528万羽を超えるまでに至りました。しかし、この頃需要はピーク。供給側の販売競争の激化により利益率も低下、生産羽数も減少傾向になっていきます。
当時、厳しくなっていったマーケットで勝ち抜くため、生産者は差別化戦略を模索。食生活や嗜好の多様化に応える形で、“より美味しい鶏肉”を追求する銘柄鶏や地鶏が登場しました。
こうした流れは焼鳥にも影響を与えます。特定の銘柄鶏や地鶏を使用し、鶏の名前を大々的に謳う店が登場してきたのです。
《参考文献》
土田美登世(2014),やきとりと日本人 屋台から星付きまで,光文社
駒井亨,銘柄鶏と地鶏 -ブロイラーの銘柄化と鶏肉消費の変化-,畜産の研究,2008,62巻6号,p657-664
岡山県畜産史編纂委員会,岡山県畜産史,一般社団法人岡山県畜産協会
http://okayama.lin.gr.jp/tosyo/history/index.htm